志賀直哉旧居(現・奈良学園セミナーハウス)
どんなたてもの?
・志賀直哉が自ら設計
・家族とともに9年間暮らした
・『暗夜行路』をここで完成させた
・文化人が集まったサンルーム「高畑サロン」
道のり
バス停「破石町(わりいしちょう)」からの道のりはこちらで案内しています。
shishi-tatemono.hatenablog.com
見学レポート
この日は秋の公開シーズン中。
玄関からお邪魔して、受付にて見学料を支払いました。
マップ
玄関脇の階段を上がって、2階から見学していきました。
2階へ
一瞬、階段に映る人型の影にビビるが、私ですね、これ。
さて、間取り図によると、2階はふた間。
こちらの書斎で「暗夜行路」を完成させたのだとか。
続いて客間。
客間からはお庭が見えます。小林多喜二も宿泊したのだとか。
さて、ふたたび急な階段をおりて、1階へ。
1階
1階は大きく分けると中庭をはさんで北と南に分かれている感じ。
受付というか現・事務所的なところを通過して、まずは書斎へ。
書斎
窓からお庭が見える。
執筆の合間にこの景色が見えるのはたしかにいいなあ。
やけにがらんとした部屋だなあと思ったら、「記念碑の類は断れ」という志賀直哉の遺言に従い、家具や遺品などは原則展示していないそう(机もダメなんじゃ?と思うけれども……まあたしかに見学するほうは机くらいは観たいもんね)。
特別公開シーズン限定?で、椅子に座って写真を撮れる仕様になっていました。
留学生かな?の女の子に頼まれてシャッター押したりしました。
お茶室とお茶庭
1階の書斎の隣はお茶室。
奥さんと娘さんのためにプレゼントしたんだそう。
お茶室に付属のお庭。
使われているのは生駒石だそう。
さて、南側エリアに向かいます。
お風呂場
取り壊されていたものを復元したそうです。
女中室
お風呂からキッチンに行く途中にありました。
陸軍に接収されていた時にこちらも模様替えされていたようですが、復元されました。
室内を通らなくても外から入れるようになっているそう。
キッチン
カメラにホコリがついてしまいましたが、広くて明るいキッチン。
備え付けの冷蔵庫、ガスも。
あの時代にこの設備はすごいなあ。
食堂
キッチンから続いている食堂。
ここから料理を出したりしていたのかな。
革のソファーが素敵。
現在はセミナーハウスとして使われているので、プロジェクターとかもある。
サンルーム
「高畑サロン」としておなじみ、文人や芸術家たちが集まったというサンルーム。
床は瓦と同じ製法でできたタイルで、敷き方は中国風なのだそう。
一方、机はヨーロッパのアンティーク家具風。
さらに、隣の奥さんの部屋への入口は躙り口になっていたり、つくばいもあって和風。
室内なのに、つくばい。
和・洋・中がこみこみなのに、空間としてはスッキリとまとまっていますね。
サンルーム側から食堂を見る。
完全に仕切るわけでもないけれど、いい感じに分けられている。
天井。広い。
もちろん有名な芸術家たちが集まったという背景もあるけれど、このサンルーム自体が魅力的ですね。
夫人の間
サンルームからの躙り口を入ると奥さんのお部屋。
奥さんは熱心な仏教徒だったので、つくりつけの仏壇まで設置したそう。
直哉の居室
子どもの勉強部屋
写真を撮り忘れてしまったのですが、子どもの寝室もあり、それとは別の勉強部屋。
あの時代に、すごい。
コルクが敷いてあって、多少騒いでも問題ない仕様。
ちなみに、勉強部屋の東側にさらにふた間あって(のちの増築?)そちらはセミナールームになっていました。
裏庭
勉強部屋から裏庭に出られるようになっていました。
ちょっと歩いてみます。
庭から家屋を眺める。
お庭の隅に子ども用の水浴び場!
まあ、今風に言うなら、プールつき物件ってことですよね。すごいな。
物置?や井戸からも時代を感じる。
ここから家を見る。
今更気づいたけど、自販機がありました。
セミナーハウスとして利用されていることの証拠ですよね。
さて、家の脇をとおって出口に向かいます。
見上げる。
お邪魔しました~
おわりに
志賀直哉は生涯で23回も引越しをしたとのこと(志賀直哉 - Wikipedia)。
小説を書けなくなると場所を移動する感じだったのかな。
ともあれ、奈良のこの住宅、戦前当時最先端の「こだわりの注文住宅」だったんだなというのがよくわかりました。
それから財力がすごい。
「本が売れない」といわれる昨今からは想像しにくくなってきたけれど、昔の原稿料は高かったんでしょうね。